母が亡くなった夜から翌朝にかけて振り返ってみます。
夜11時に息を引き取る
母が息を引き取ったのは1月2日の夜ちょうど11時ごろだったと記憶しています。母がすーっと目を閉じた後、母の腕に着けたApple Watchで時間を確認した覚えがあります。
その場にいた介護士さんが足早に部屋を出ていき、ほどなくして戻ってくると、こう言いました。「主治医の先生には電話でお伝えしました。先生は明日の朝いらっしゃいます」
「ふーん、そういうものなのか」と思うと同時に、主治医の看取り期の対応についてあまり快い感情をもっていなかったので、「今さら急いで来てもらう必要もないから別にいいや」と思ったくらいです。
入居者さんの状態や、特養(のかかりつけ医)によっては、息を引き取る時にお医者さんがいてくれることもあるのかもしれませんが、うちの場合はそうではありませんでした。
真冬にクーラーの効いた部屋で一晩を過ごす
母が息を引き取ると、それまで付いていた暖房は冷房に切り替わりました。遺体の傷みを最小限にするためです。
おそらく、冷房として設定できる最低温度だったのでしょう。とても寒くて体が冷え切ってしまい、部屋の中でダウンコートを着ていました。
母の横たわるベッドサイドでコートに身を包みつつ、一晩中母の顔や手をさすっていたことを思い出します。真冬にあんなに冷房の効いた部屋でダウンコートを着て過ごした経験は、いつまでもきっと忘れません。
翌朝主治医が来た
翌朝8時半ごろ主治医が来て、母の下まぶたをペロッと見たり、脈を取ったりして「ご臨終です」と告げました。その時のことはあまりよく覚えていないのですが、心の中で「知ってるよ」と思いつつも、「今までお世話になりました。ありがとうございました」などと言ったように思います。
死亡届に記載された日時
手渡された死亡届に記載されていた死亡日時は「令和3年1月3日午前8時28分」となっていました。実際に息を引き取った時間ではなく、主治医が来て確認した時間です。
「自宅で亡くなると警察が来る」と聞いたことはありますが、特養だとかかりつけ医が確認した時間をもって判断するということなんですね。
でも、翌朝に来たのは、私としてはむしろ良かったと思っています。もし息を引き取ったのが日中だったら、わりとすぐに主治医が来てしまって、バタバタと手続きなどに追われていたはずです。
最期に一晩ずっと母のそばにいることができたので、母の死をなんとか受け入れられたのではないかと思っています。
ななのひとこと・ふたこと
戸籍上では、母の亡くなった日は1月3日ですが、私の気持ちの中では1月2日です。なので、「2日が月命日」のつもりで毎月2日を迎えています。