先月から今月にかけて、母はひとりで出かけて家に帰れなくなることが4回ありました。幸いなことに、地域の人が声をかけてくれたり、私が探しに行ってすぐに見つかったりと、大事には至りませんでした。
近所で見つかったときの記事 → 地域の見守りってありがたいなと感じたこと
2、3年ほど前までもときどき、ひとりで出かけて家に帰れなくなり、交番から連絡がくることはありました。
ただ最近はひとりで出かけることはなかったので、すっかり安心しきっていました。
交番から連絡が来たときの記事 → 親の介護を会社に打ち明けたのは「徘徊」がきっかけでした
「徘徊」という言葉の意味
私は「徘徊」という言葉が嫌いです。
認知症の人がひとりで外に出かけて歩いていると、「徘徊している」と言われます。
「徘徊」という言葉を辞書で調べると、「目的もなくうろうろすること」というような意味で書かれています。
「徘徊」という言葉に違和感を感じたり、嫌悪感を抱く介護者は多いと思います。
「徘徊」じゃなくて「お散歩」「外出」
外へ出かけるのには必ず理由があるはずです。
本人に聞いて明確な答えが得られないこともあります。むしろその方が多いでしょう。
でも、たとえそうだとしても、「どうして外に出かけたくなったのかな?」と周囲にいる私たちが考えてみるべきです。
「認知症だから徘徊するのは仕方ないことなのね。」って思うのは簡単です。でも本当はそうじゃありません。
以前住んでいた家に帰ろうとしていた、とか、友達に会いに行こうとしていた、とか、仕事に戻ろうとしていた、とか。必ず理由があるはずなんです。
認知症だから仕方ない?
徘徊に限らず、何かあると、「認知症だから仕方ないんですよね。」と言う人。結構いるんですよね。
いや、違うでしょ。何でもかんでも「認知症だから」というひとことで片付けないでほしい。
人の行動や言動には必ず理由があって、認知症だからとかそうでないかなんて関係ありません。
周囲が気づいていないだけです。その言動の裏に隠された理由を考えて、どう接するかが大切だと思います。
ななのひとこと・ふたこと
この週末に、介護施設で働く人と話す機会があって、認知症に対する社会の偏見や誤解ってやっぱり多いんだな、とひしひしと感じました。
なんかだかそれで気持ちが高ぶったようです…。