母を看取ったときのことを思い返してみる

母の介護

母は2022年1月2日に特養で亡くなりました。死因は老衰です。

いつ「その時」を迎えてもおかしくない状態に

母は、過去に何度も口から食事を取れなくなることがあっても、しばらくすると持ち直してそれなりに元気になるのを繰り返してきました。

だから、2021年の年末に「水分すら口にできない状態です」と特養から連絡があった時も「今回もなんとか回復してくれるのではないか」と思っていました。でも、私が楽観視していた状況とは裏腹に、母の状態は良くなることはありませんでした。

脈が取れなくなった

当時はコロナ禍だったので、通常では自由に面会にいくことはできない環境下でした。しかし、看取りの時期が近づいているかもしれないという理由で、部屋まで面会に行くことも宿泊することも許可されるようになっていました。

大晦日に宿泊して翌日家に戻ったら、なんだかどっと疲れが出て、その日は再度母のもとにいくことはできませんでした。翌1月2日も泊まるつもりで、午後になって母のところに行くと、母は眠っていましたが比較的穏やかな状態で、手をさすったり話しかけたりすると、ときどき目を覚ましてくれたので、嬉しくなりました。

状態が一気に悪くなったのは夜になってからのことです。1時間おきくらいに介護士さんがバイタルチェック(脈や熱などを計測)に来てくれていましたが、脈が弱すぎて取れなくなり、血圧もどんどん下がっていきました。

私がいつも身につけているApple Watch(腕に着けていると自動で心拍数を測れる)を、母の細くてガリガリの腕に着けました。心拍数の異常(低下)を知らせるアラームが表示されたのは夜10時頃だったと思います。「いよいよなのか」と泣きながら母に話しかけ続けました。

息を引き取る瞬間

弟(私の弟=母の息子)がこちらに向かっている途中だったので、せめてそれまでは頑張ってほしいと切に願いました。

「はっちゃん(弟のこと:仮名です)がもうすぐ来るんだよ!」
「はっちゃんが来るまで頑張るって約束したでしょ!!」

必死に声をかけましたが願いは叶わず、弟が到着したのは母が息を引き取ってから30分ほど後のことでした。

ひとつだけ救いだったのは、それまでずっと目を閉じていた母が、最期、息を引き取る直前に目を開いてくれたことです。まるで私の言っていることが分かったかのように。

目を大きく見開いた後、すーっと目を閉じました。「あ、いま母の命の火が消えるんだな」と泣きながら思いました。ドラマで見るような、そんな最期でした。

ななのひとこと・ふたこと

翌3日は朝からとてもいいお天気で、特養の部屋の窓から晴天の空を眺めながら、こんなことを思いました。

「私が生きているこの人生の中で、今日は母がこの世界にいない初めての日。これから先の毎日は、母がこの世にいない日々が続いていくんだなぁ」