認知症は自然な老化現象のひとつ。「治さなくてよい認知症」を読んで

書評

「治さなくてよい認知症」を読みました。共感できる点がとても多かったのでご紹介します。
(以下、「認知症」はすべて「アルツハイマー型認知症」についてです)

治さなくてよい認知症

認知症は治らない病気である

メディアの記事や番組でよく見かける「認知症の兆候を早めに発見し、早期に治療を行いましょう」という内容。
いたずらに不安を煽っていないかな?と思います。
「治さなくちゃいけない」「治そう」という風潮があまりにも強くないでしょうか?

MCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)の段階であれば、適切な対策や治療をすれば認知症の症状が最後まで出ずにすむケースもあります。でも、認知症が発症したら、たとえ早期発見したとしても、現代の医療では認知症は治りません。

認知症を解明し、治療法を見出そうとする研究は進められているが、当面のところ、認知症は「治らない病気」なのである。
「治さなくてよい認知症」より抜粋

認知症は「特別な病気」ではない

認知症になる最大の要因は加齢です。高齢になればなるほど認知症になる可能性は高くなります。

85歳以上になれば、ほぼ二人に一人は認知症である。もう「特別な病気」と呼べないだろう。性別や性格などと同じように、その人の属性といってもいいのではないか。
誰にでも起こりうる、高齢に伴う当然のこととして、あるいは個性としてとらえたほうがいいのではないか。
長寿を礼賛するなら、長寿に半数は伴ってくる認知症も礼賛したらいいのではないか。
「治さなくてよい認知症」より抜粋

つまり、認知症は自然な老化現象のひとつと考えるのが妥当ではないでしょうか。

予防方法なんてない

認知症になりやすい生活習慣や食べ物、はたまた認知症になりやすい性格、とか、いろんなところで見かけます。
「◯◯が予防に効く!」とか「◯◯な習慣はやめよう」とかを見ると「ふぅーん」って思います。
でも、それってあんまり当てになりません。どんなに気をつけていたってなる人はなるし、ならない人はならないんだそうです。

「認知症になったらお終い」みたいな風潮がないか

メディアの報道は「認知症になったら何も分からなくなる」「認知症介護は大変」と煽るものが多過ぎるように感じます。
たしかに、分からなくなることやできなくなることは多くなります。
介護だって決して楽ではありません。「なんで私ばっかりこんな大変な思いをするんだろう」ってへこむことも(しょっちゅう)あります。

それでも、本人は、全てが分からなくなるわけではないし、何もできなくなるわけでもありません。
介護者だって、つらいことばかりじゃありません。母が認知症にならなかったら、こんなにも母を愛おしく思うことはなかったと思います。

認知症を問題視し過ぎないで

社会も人も、長寿をほめたたえるのであれば、認知症の人を特別視したり奇異な目で見ないでほしいと切に願います。
社会全体の認知症の人に対する見方や意識はどうなんだろう?自分は当事者だから、その立場でしか物事を見られなくなっているのかもしれません。

でも、誰だって認知症になる可能性はあるんです。アルツハイマー病の原因(種)であるアミロイドβが脳内に溜まり始めるのは発症の20〜30年前とも言われています。今、40代以降の人なら、実はもうすでにアミロイドβが溜まり始めていて、将来、自分が認知症になるかもしれないのです。

認知症をことさら問題視するようなことをせず、長寿になったのだから認知症になっていい、治さなくていい、認知症でも楽しく生きることを考えよう。
そういう意識を誰もがもつべきなのである。
「治さなくてよい認知症」より抜粋

認知症を「あきらめる」ことではない

「認知症は治そうとしなくていい」というのは「認知症をあきらめる」ことではありません。現状をありのまま受け入れることです。

決して認知症をあきらめることではない。逆である。認知症を特別なことと考えず、誰にでも起こる普通のことと認め、認知症の人とともに前向きに積極的に生きる。認知症があっても、張り合いをもって生き生きと生活することを第一に考えることなのである。
「治さなくてよい認知症」より抜粋

ななのひとこと・ふたこと

桜が開花しました。我ながら典型的な日本人だなと思うけど、桜が咲くとそれだけで嬉しくなります。