2007年に認知症高齢者が鉄道にはねられ、JR東海から遺族が損害賠償を求められていた裁判で、先日、「家族に監督責任はない」との最高裁判決が言い渡されました。
今回の最高裁判決は、多くの介護家族にとってとても意義深いものです。一介護家族としてこの判決を聞いて、正直なところほっとしました。
ただこの判決は、当然のことながら全ての鉄道事故にあてはまるわけではないのも事実です。懸念すべき点もいくつかあります。
家族の監督責任はどこまで?
24時間ずっと見守り続けるなんてムリ
認知症の人が危険な目に遭わないように、他者に危害を与えないように、本人がそれらを回避する能力が劣っているのであれば、家族が守るのは当然のことだと思います。
ただ、24時間365日ずっと見守ることなんてできません。それこそ、監禁・拘束するしか方法はないでしょう。でももちろん、そんなことはできません。
だとすると、家族はどこまで監督責任を負うのでしょうか?何をどこまですれば監督責任はないと言えるのでしょうか?
監督義務って何だろう?
今回のご家族は、それこそ出来うる限りの見守り・介護をなさっていたと言えるでしょう。
今回の判決では、奥さんご自身も要介護認定を受けていたこともあり、そもそも監督義務者ではないと判断されました。
「監督義務者だけれども、監督義務を怠っていなかったので責任を免れた」のではなく、「そもそも法定の監督義務者ではない」と判断されたのです。この違いは大きいと思います。
でももし、家族が監督義務者だと判断された場合に、何をどこまですれば監督責任はないと判断されるのかという点については今回の判決では示されていません。
被害者に対する賠償責任をどうするか
監督責任の所在
そもそも24時間ずっと見守るなんて不可能な話です。そんなこと、介護者でなくても分かりきったことです。
それでも場合によっては家族が監督責任を問われることは否定できないとも思っています。
そう思うのは、そうでないと被害者が救われないからです。
被害者の立場で考える
被害者の立場になってみれば、「認知症だからといって何でも許されるのか。家族には監督責任がない。」と考えられるでしょうか。
もし加害者ではなく、被害者側になったと仮定して考えると、認知症の人が起こした事故をそう簡単に受け入れることは難しいと思うのです。
認知症の人に対する誤解や偏見は生まれないか?
もうひとつの懸念すべき点は、今回の判決では、認知症の人が起こした事故の損害賠償をどのように行うかの判断が明示されなかったことです。
認知症の人が加害者となった場合の賠償責任の所在が曖昧だと、認知症の人を危険視するようになる恐れがあります。
「認知症の人は何をしでかすかわからない。」
「もし何かあっても賠償責任がなく、被害者は泣き寝入りするしかない。」
「だから認知症の人は家や施設に閉じ込めておくしかない。」
といった誤解や偏見を生まないとも言えません。
社会全体で考えなければいけないこと
超高齢社会を迎える日本。2025年には65歳以上の5人にひとり、85歳以上のふたりにひとりは認知症になると言われています。
長寿を礼賛するなら認知症も受け入れる心構えが必要です。
必要だと思うこと
- 認知症の人に対する地域社会全体での見守り
- 認知症という病気に対する理解
- 加害者となった場合の賠償責任を誰が負うかの議論
- 家族だけでなく社会全体で支える公的な賠償補償制度の整備
ななのひとこと・ふたこと
愛する家族を被害者にも加害者にもしないために、自分には何が出来るのか。何をすべきなのか。監督義務って?監督責任って?
難しいテーマだけに、書くべきかどうかとても迷いましたが、何が正しいかなんて答えは出ない(ひとつじゃない)問題だよね…と思い、今の自分が思うことをつらつらと書いてみました。考えは人それぞれだし、自分の中でも考えは変化していくかもしれない、と思っています。
判決文を読んで生じた疑問や不安について → 頑張って介護すればするほど監督責任は問われるってこと?