介護を続けていく中では、さまざまな悩みや不安が生じます。ケアマネさんに相談したり、インターネットや書籍などで情報収集したりすることも大事なのですが、介護仲間を作ることもとても重要だと、自分自身の経験から強く思います。
介護初期に悩んでいたこと
2011年に初めて要介護認定を受ける半年ほど前から、私は母の物盗られ妄想に悩んでいました。
物盗られ妄想とは、認知症の初期の頃に起こりやすい症状で、財布や通帳、宝石類など大事なものが盗まれたと訴える妄想です。介護に関わっている身近な人が疑われやすいのも特徴です。
「私の財布がない。あなたが盗んだんでしょう。娘を泥棒に育てた覚えはない」と顔をあわせるたびに母に怒鳴られました。「交番に行く」と行って深夜に家を出て行ってしまい、迎えにいくこともしばしばありました。
私は、仲が良く信頼し合えていると思っていた実の母から泥棒扱いされる日々に疲弊するようになりました。
まだ認知症についての知識も経験も乏しかった私は、誰にも相談できず、何をどうしたらいいのかを考える余裕も、何か行動を起こす気力も、すっかりなくなっていきました。
もともと出歩くのが好きだった自分が、友人と会うことも億劫になり、家と会社を往復するだけの毎日になりました。会社へ行くのすらつらい日々が続き、「最近なんだか元気ないね」と心配してもらっても愛想笑いをするしかありませんでした。この頃、軽い介護うつだったように思います。
思い切って介護者の集いに参加してみた
介護に対する不安を少しでも解消したくて、書籍を読み漁ったりインターネットで情報収集したりしていましたが、「この先どうなるんだろう?」と言う漠然とした不安は一向に消えませんでした。
そのうち、「誰かと思いを共有したい」「この気持ちをわかってほしい」という感情が強くなり、勇気を振り絞って介護者の集いに参加してみることにしました。
介護者の集いというのは、行政やNPO、介護経験者などのボランティアが主催するものなどがあり、参加者がそれぞれの思いを共有したり、情報交換したりする場です。
介護者の集いに初めて参加して思ったのは、「悩みを共有できるってこんなにも気持ちが楽になるものなのか」ということでした。
当時、私の周囲に親を介護している人はおらず、友人や会社の同僚などには悩みを相談しづらかったので、一人で悶々としていました。
「他人には話しづらいことだから、と自分の中に溜め込んでいた感情を気兼ねなく吐き出すことができ、それを共感してくれる人がいる」
「同じように悩んでいる人がいる。悩んでいるのは自分だけじゃない」
そう思うだけで、気持ちはとても救われました。
不安を抱えているのは自分だけじゃないことに気づく
集いに参加すると、専門家や経験者の話を聞いて有益な情報を得られることもあります。でもだからといって、必ずしも自分の悩みが全て解決するわけではありません。
ただ、そういった直接的な解決ではなくても、他人の意見や考え、介護に対する姿勢などを聞くことによって、自分の中で考えがまとまったり、気持ちが楽になるというのは間接的な解決につながるのではないでしょうか。そしてそれは介護をしていく中で、とても重要で必要なことだと思います。
実際に人と会って話すと、独りよがりの自分の考え方や思い込みに気づくことができ、いい気分転換にもなります。
普段接している会社の同僚や友人などとは異なる環境や属性の人と話をすることで、自分が当たり前に思っていることが実はそうではない、と気づくこともできるのです。
そして、何かあったときにはあの集まりに行こうと思える場所があるだけで、自分の心持ちが全く違います。
身体介助など物理的な介護の負担は少しずつ増えていきましたが、認知症介護に関する自分の知識や経験が蓄積されていき、そしてこうした場所があるおかげで、介護が始まって何もわからず不安だった初期の頃よりも精神的には楽になりました。
ななのひとこと・ふたこと
特に介護初期の頃は、身近に介護のことを話せる友人がいなかったので、介護者の会に参加して悩みや不安を共有でき、とても救われました。
介護が終わった今でも仲良くしている人もいます。こうしたつながりはずっと大事にしていきたいと思っています。