それって本当に介護のせい?介護を言い訳にするのはもうやめます

初日の出とイヌ 自分のこと

新年明けましておめでとうございます。
2018年、平成30年の始まりですね。

元旦早々、ウンがいい

今朝、母は目が覚めるなりすぐに起きあがり、トイレに行きました。いつもなら、なんとか母をなだめすかせて起こし、私が手を引いてトイレに連れて行くのに、今朝は珍しく自分から積極的です。

なな
明けましておめでとう。今日は元旦。今日から平成30年だよー。

母親
へぇ、そうなの。

返事もそぞろで母はトイレに向かいます。
お腹が痛いわけではなく、便意(大きいほう)をもよおしていたようです。
トイレに行くと、パッドにはすでに立派な大量の便が出ていて、お尻から太ももまでウン○まみれになっていました。ズボンにまでびっしり付いていました。

母を浴室に連れて行き、下半身だけをシャワーで洗い流し(寒がって、家でお風呂やシャワーを浴びたがらない)、そのあと、洗濯とトイレ掃除をしました。「元旦からウンがつくなんて縁起がいいな」と自分に言い聞かせつつ。

無理しない。自分の気持ちを受け入れる

排泄処理、慣れたとはいえ、やっぱり凹みます。。。しかも元旦早々。
とはいえ、別にお正月だからとか元旦だからとか関係ない。介護は日常です。
淡々とこなす方が結局は気持ち的に楽なんだ、と思うようにしています。

介護だけじゃなく、仕事も、それ以外もいろんなことがあって、生きていくのって結構ストレスたまります。いくら楽観的にポジティブに考えようと思っても、無理なときもあります。そんな時は無理しないで、そんな自分も受け入れていこうと思います。自分の気持ちを無視したってつらいだけだし。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」って水戸黄門も歌ってましたしね。懐かしい。

それ、本当に介護のせい?

もともと、外へ出かけるのが大好きで、初対面の人ともわりと臆せず話したり、思い立ったらすぐに新しいことを始めるのが、良くも悪くも自分の性格でした。飽きっぽくて、熱しやすく冷めやすい。でも、行動力と好奇心だけは人一倍ある。
でもふと気づいたら、ここ何年も、何をするのも億劫で、休みの日は家に閉じこもりがちな生活を送っています。

ずっと「それは介護のせい、軽い介護うつだからなんじゃないか」と思ってました。
そう、少なくとも介護初期の頃はそうだったと思います。でも今は多分違います。

もちろん、介護のことが気にかかって、気分が落ち込むことは多少なりともあります。
でも、おそらくそれは言い訳というか、理由の一部ではあるけれども、きっと根本は違うんだと、最近思うんです。

年齢とか自分の自信のなさを介護のせいにしているだけじゃない?
介護を理由に面倒くさいと思うことから目を背けているだけなんじゃない?

なるようになる。だからまずはやってみる

他人に愚痴ったり弱音を吐くのが苦手で、これまであまり言わないようにしてきました。
でも去年の12月、仕事で本当に行き詰まり、「もう無理だ」と心が折れそうになって精神的に追い詰められて、自分の気持ちを友達や同僚などに少し吐き出すようにしてみたら、自分のやりたいと思うことをやっていた、以前の自分を少し取り戻したような気がしました。

いくら思い悩んでみたって、なるようになるし、なるようにしかならない。
やってみなくちゃ、どうなるかなんてわからない。だったらやってみよう。

「すごいね、その行動力、どこから来るの?」なんて半分呆れ気味に友達に言われたそんな自分、今思うと、結構好きでした。
ここしばらく冬眠状態だったけど、そろそろそんな状態にも飽きてきました。嫌気が差してきた、という方が正しいかもしれません。

行動を起こすことで改善することに対しては努力するべきだし、そうありたい。
でも、自分が考えたって変えられないもの、変わらないことだってあるんだから、それをうじうじ悩むのは時間的にも精神的にも無駄だな、と。

なんだか弱気になって、いろいろ考え過ぎて、がんじがらめになっている自分に疲れました。今年は自分のやりたいと思うことをやろうと思います。周りに勝手に気を使い過ぎて、勝手に疲れるの、もうやめます。

ななのひとこと・ふたこと

いやー、今日はお天気が良くて良かったです。初日の出を見られる時間には起きれなかったけど、洗濯日和のいい1日でした。
ここ数日、母はお通じがなかったので、あんなに立派な便が出てひと安心です。元旦から快便なんて、今年はきっといい1年になります。