介護家族者の集まりでのできごと
知り合いの方からお声がけいただいて、先日、久しぶりに介護家族が集まる場に参加してきました。いつも参加しているのとは違う集まりです。
そこで、ちょっとモヤモヤを感じたというかイラっとしたことがありました。
参加者は40代から50代の6人で、うち5人は(高齢の)親を介護している男女、残る一人の方は精神疾患のあるお子さん(小学生)を介護していた男性でした。詳細を書くのはよくないので省きますが、介護をしていたのは10年ほど前のことだそうです。
その男性は、最後にこんな発言しました。
「高齢者に対する福祉ばかりで、若者(こども)に対する福祉施策や支援制度がなくて、とても困った。役に立たず先のない老人に莫大なお金をかけないで、もっと若者にお金を回すべきだ」と。
とても驚きました。
いえ、「高齢者にお金をかけ過ぎで、それを若者に回すべきだ」というのはわかるんです。同意できるかどうかは別として、当事者だったら自分に関わることを優先してほしいと思うのは当然の心理ですから。
私だって、(たまたま?)高齢の親を介護しているから高齢者福祉に関心を持っているわけであって、もし親の介護をしていなくて子供がいたら、そちらを優先してほしいと思うだろうし。
立場や状況が違えば、自分の価値観や関心、重要性は違って当然です。
驚いたのはこの言葉です。
老人は役立たずで先がない!? はぁ!?
違うだろー!!!
あんた、その考えおかしいでしょー!!!
と心の中で絶叫しましたが、もちろん声にも顔にも出しません。オトナですから。
この人、自分の親に対してもそう思ってるのかな。
それとも、もう亡くなっていて、他人事なのかな。
「役に立つ」「活躍する」ってどういう意味なんだろう?
役に立たないから放っておいていいの?ないがしろにしていいの?
そもそも「役に立つ / 役に立たない」ってどういうこと?
なんだか安倍首相の掲げる「一億総活躍社会」が、ふと頭に浮かびました。
⼀億総活躍社会とは
若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある方々も、一度失敗を経験した人も、みんなが包摂され活躍できる社会
一人ひとりが、個性と多様性を尊重され、家庭で、地域で、職場で、それぞれの希望がかない、それぞれの能力を発揮でき、それぞれが生きがいを感じることができる社会
強い経済の実現に向けた取組を通じて得られる成長の果実によって、子育て支援や社会保障の基盤を強化し、それが更に経済を強くするという『成長と分配の好循環』を生み出していく新たな経済社会システム
首相官邸HP
より引用
「⼥性も男性も、お年寄りも若者も、⼀度失敗を経験した⽅も、障害や難病のある⽅も、 家庭で、職場で、地域で、あらゆる場で、誰もが活躍できる、いわば全員参加型の社会である」ということらしいです。
はあ、そうですか。
ところで「活躍」ってなに?どういう意味で使ってるの?
解釈はいろいろあるんだろうけど、極論をいうと、生産性や労働力がないと生きている価値がないってことなの?
だとすると、「それは違いますよ、あなた」と声を大にして言いたい。
ひとが老いていくさまを学ぶ
このブログで何度かご紹介している、『親の「老い」を受け入れる ~下町医師とつどい場おばはんが教える、認知症の親をよくする介護』という本の中でこんなことが書かれています。
「親が老いる」ということは、「ひとが老いてゆくさまを教えてくれている」ってこと。
「誰もがいつかこうなるのだ」と身をもって教えてくれているんだよ。
母を見ていると思うんですよね。
あぁ、歳をとるってこういうことなんだな、って。
最近特に実感するのは、今の自分が当たり前のようにできている「歩くこと」「食べること」が、実はとてもすごいことなんだ、ということ。
歩くという行為は、地面に足をしっかりつけて、一歩踏み出し、次にもう一方の足を踏み出す。これを交互に繰り返すことです。
食べるという行為は、目の前にある食べ物を食べ物と認識し、お箸やスプーンなどを使って口の中に入れ、咀嚼し、飲み込むことです。
普段私たちは、そんなこといちいち考えてやってませんよね?ごく自然に無意識にできています。
でも歳をとれば、だんだんとそうしたことが当たり前のようにはできなくなる。
それを目の当たりにして、ひとはこうして歳をとっていくんだなあ、と気づかせてもらってるんだと思います。
「親の老いを受け入れる」の著者 長尾和宏医師が朗読する動画があります。
動画サイト(YouTube)
(注:クリックすると音が出ます)
ななのひとこと・ふたこと
そもそも、役に立つとか立たないとか、そんな尺度で考えるのがおかしいですよね。
母の笑顔を見ると、なんだかすごく嬉しくなるんです、最近特に。自分でも不思議なくらい。なんなんでしょうね、こどもを思う母親のような気持ちなんでしょうかね。