「親を介護すること」と「親孝行」について考える | 親孝行ってなんだろう?

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父の日に、毎年思い返すこと

昨日は父の日でした。
毎年、父の日が来ると強烈に思い出すことがあります。

父の日

父の日の翌日、父が病気で倒れました。私が高校2年のときです。
高校2年生といえば思春期で、当時父親とは会話なんてろくにしていませんでした。

だから父の日も、特に何もしませんでした。
父はその翌日に倒れ、結局一度も意識を取り戻さないまま約9ヶ月後に亡くなりました。

育ててもらった感謝の気持ちを父に伝えたことはありませんでした。むしろ父に反発ばかりしていたように思います。

父の日にだけ何かすればいい、というわけではありませんが、「なぜ父の日に、私は父に何の言葉もかけなかったし、何にもしなかったんだろう」と、激しく後悔しました。

「孝行のしたい時分に親はなし」

「孝行のしたい時分に親はなし」という諺があります。

知らない人はいないくらい有名な諺だと思いますが、「親孝行をしたいと思うときには、親はこの世にいない。親が生きているうちに孝行しておけばよかったと悔やむこと」という意味です。

「反省はしても後悔はしない(悔やんでみてもやり直せないのだから後悔はしない。反省して、失敗は経験として生かす)」ように普段は心がけています。でもこの父の日のことだけは後悔してもしきれません。

介護は親孝行なのか?

親孝行ってなんでしょう?何をしたら(あるいは何をしなければ)親孝行なんでしょうか?

私が母の介護をしているのを知っている人たちから、「ななさんはお母さん思いで優しいですね」「親孝行ですね」と言っていただくことが、ときどきあります。ありがたいことなんですが、自分自身では特にそうとは思っていません。

親孝行というよりも、自分がしたいからやっているのであって、もし私が介護したくないと思っていたら、きっとこんな風に在宅介護はしていないと思います。

  • 母の喜ぶ顔を【私が】見たいから
  • 母に少しでも楽しく毎日を過ごしてほしいと【私が】思っているから

私の介護はこれが基本です。

はた目には親孝行に見えるかもしれないけど、私自身がやりたいことをやっているだけです。母のため、を考えてはいるけれど、自分主体なんです。

だから、「介護することが親孝行」だとは、少なくとも私は感じていません。

自己満足でいいじゃない

自分主体は悪いことでしょうか?

私は、そんなことはないと思います。自分主体でいいと思うんです。

介護者自身が嫌だと感じて無理していたら、介護者、被介護者お互いが不幸です。
嫌々介護していたら、もしかして虐待にまでつながってしまうかもしれません。
それに、自分の子どもが(自分の介護で)嫌な思いをしていたとしたら、親だって嫌でしょう。

介護を無理なく続けるためには、介護肯定感と自己満足感が大切なんだと思います。

ななのひとこと・ふたこと

親孝行の定義は人それぞれで、絶対的な正解はありません。介護することが親孝行だというのも、考え方のひとつです。

私が思う親孝行は、「親に心配をかけないこと・親を安心させること」「自分自身が幸せでいること」かなと思います。

子どもの幸せを願わない親はいません。いくつになっても、認知症になっても、親は親なんだなあ、と母を見て感じます。

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