介護はいつから始まったのか?を振り返ってみます

母の介護

母が介護保険認定を初めて受けたのは2011年4月のことでした。

買い物に行って同じものをいくつも買ってくるなど、なんとなくおかしいと思うことはあっても、それ以外では普通に生活出来ていました。
当時は、もの忘れの症状なども特になく(少なくとも私は気づかなかった)、日常生活において特に困ったことはありませんでした。

ですから、介護保険の認定を受けようとは露ほども思っていなかったですし、そもそも介護保険制度についてほとんど何も知りませんでした。
そんな私が、母の介護保険の認定申請をしたきっかけは、地域包括支援センターから私宛にかかってきた一本の電話でした。(過去記事参照)

地域包括支援センターって、なに?

地域包括支援センター(以下、「地域包括」と記載)とは、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う、介護保険法で定められた機関です。地域の高齢者の総合相談窓口として市区町村単位で設置されています。

なぜ母が地域包括のことを知っていたのかを、今となっては知る由もないのですが、私の知らぬ間に何度か地域包括に行っていたようでした。

母は私に内緒で、地域包括や交番に「娘に通帳や財布を盗られて困っている」と相談に行っていたらしく、様子がおかしいと思った地域包括の担当者から私に電話がかかってきたのです。

認知症の周辺症状のひとつといわれる「もの盗られ妄想」です。

泥棒に育てた覚えはない

「もの盗られ妄想」は、自分でものを仕舞い込んでしまったことを忘れ、誰かに盗られたと疑う症状です。
財布や貴金属など貴重品を盗まれたと思うことが多く、疑われるのは一番身近にいる人であることがほとんどです。

日々の生活に支障はありませんでしたが、たびたび、「お財布がない。あなた(私のこと)持ってるんでしょ?返してよ。」「娘を泥棒に育てた覚えはない。泥棒と同じ家に住みたくない。」と言われて、対応に困ることがありました。
でもまさかそれを交番などに行って話しているとは思ってもみなかったので、その電話はとてもショックでした。

週末、地域包括に行き、電話をくれた担当者の方と話をしました。(地域包括は土曜日も開いているので便利です。)
かなり動揺していたせいなのか、その時に何を話したのかはっきり覚えていないのですが、介護保険の認定申請をすることを勧められ、申請手続きをしました。
手続き方法は、地域包括で教えてもらったので、特に迷ったことはありませんでした。

介護はいつから始まった?

ある日突然困ったことが起きて今すぐ何か対応しなくてはならない、という状況ではなかったので、何をもって「介護が始まった」とみなすかを明確にすることは難しいのですが、あえて区切りをつけるならば、「介護保険の申請をしたときから」といえるかもしれません。

こうして、地域包括の存在すら知らなかった私の介護生活が始まりました。