ユマニチュードの根底にある「人と人との絆」って?

母の介護

私が、認知症の母に接する際の2大鉄則のひとつに「目を見て話す・驚かせないように気をつけつつ、自然にボディタッチする」があります。
これを実践するようになったのは、「ユマニチュード入門」という本を読んだことがきっかけでした。

ユマニチュードって、なに?

イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティというふたりによって作り上げられた、コミュニケーションを重視したケア技法です。
認知症の人や高齢者だけでなく、ケアを必要とするすべての人に使えると言われています。
具体的な技法として「見る」「話す」「触れる」「立つ(ことを援助する)」の4つの柱があります。

見る

アイコンタクトが取れるよう、正面から水平な高さで、相手の視線をつかむ。
後ろから声をかけない。

話す

声のトーンは優しく穏やかに。相手を無視して一方的に話しかけない。

触れる

指先だけでなく手の平全体で、柔らかくゆっくり包み込むように触れる。
手首や足首をつかまない。

立つ

「生きているものは動く」「動くことが生きていることだ」というのがジネストさんの持論。
転倒したら危険だからといってベッドに寝かせきりにしていると、寝たきりになる。
寝たきりを作るのは、大抵の場合、周囲の環境によるもの。

ユマニチュードの理念や根底にある考え方を知ることで、上記4つの技法がストンと腹に落ちました。

ユマニチュードの哲学

さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて”人間らしい”存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」といメッセージを常に発信するーーつまりその人の”人間らしさ”を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態である。(「ユマニチュード入門」5ページ)

たとえ以前よりできることが減ったとしても、母は母であることに変わりはありません。

ユマニチュードを支える根源的な問いかけ「人間とは何か」

人間の赤ちゃんは、自分で身の回りのことができるまで何年もの歳月を要します。自分で身の回りのことができるまでのあいだ、周囲から触れられたり、見つめられたり、言葉をかけられて育ちます。つまり、他者に依存して生きている存在です。依存することが生きることであり、未来へとつながっているのです。ケアをする人も、ケアが必要な赤ちゃんに依存されることによって、自分と赤ちゃんとのあいだに愛情と尊厳と信頼を築いていきます。
脆弱な状態にある高齢者や疾患をもつ人も、他者との関係に着目すると、赤ちゃんと同じ状態にあるといえます。ユマニチュードは、この「人と人との関係性」に着目したケアの技法です。(「ユマニチュード入門」33ページ)

母のことをときどき、「こどもみたいだなー」と思うことがあります。
例えば、食事のとき、好きなものは食べるけど、嫌いなものは「もうお腹いっぱい」と言って食べません。それなのに、食後に「ヨーグルト食べる?」と聞くと「うん!」と答えます。
私「さっき、お腹いっぱいって言ってたよね?」
母「ヨーグルトなら大丈夫。」
私「・・・・・。」

飲み物だと、水は飲みたがらずにジュースを飲みたがります。
母「喉乾いたわ。」
私「お水、飲む?」
母「お水ならいらない。ジュースがいい。」
私「・・・・・。」

そんな母を、最近は「なんか、かわいいなー」と思います。
母は今では自分ひとりで家事や身の回りのことはできません。
母のことをかわいいと思うのは、おそらく、「ケアが必要な母に依存されることによって、私と母とのあいだに愛情と尊厳と信頼」が生まれたからなのだと思います。私はこどもはいませんが、こどもを思う気持ちってこういうことなのかな、となんとなく思います。

まわりの人からまなざしを受けること、言葉をかけられること、触れられることが希薄になると、周囲との人間的存在に関する絆が弱まり、”人間として扱われているという感覚”を失ってしまうおそれがあります。
さらに立つことができなくなり、寝たきりになってしまうと、人はその尊厳を保つことが難しくなってきます”。つまり人が人として生きていくことが困難になり、つらい生き方を強いられることになります。
ですから、その人の周囲にいる人々はその状況を理解し、希薄になっていく絆を積極的に結び直していく必要があります。(「ユマニチュード入門」36ページ)

この「絆を結び直す」方法がユマニチュードです。

誰とも話さずに一日が終わる一人暮らしの高齢者は年々増加しているそうです。
他者との交流がなくなると、人は社会性を失い、何事にもやる気をなくし、引きこもりになったり、逆に攻撃的になったりします。

知覚遮断状態の高齢者

以前は、「認知症だから話してもわかってくれない。言っても無駄だ。何を言ってもすぐに怒る。」と思っていました。
でも、その考えが間違っているのだと、この本を読んではっきりとわかりました。

寝たきりだからしょうがない、病気が進んでしまったのだからしょうがないのでしょうか。いいえ、そうではありません。順序が逆なのです。知覚遮断状態におかれた結果、彼らはいわば”疑似自閉症”の人のように振る舞うようになったのです。
人間らしい世界から疎外され、人として扱ってもらえなければ、その人たちは自分を守るために戦うしかありません。叫んだり、周囲にあるものを叩いたりするか、もしくはすべてをあきらめて閉じこもり、目を開けることも、言葉を発することもなくなります。
いわゆる問題行動や、低活動状態の高齢者が生まれる原因は、ケアをするわたしたちの側にあるのです。(「ユマニチュード入門」85ページ)

人は、普通、好意を持っている相手(異性に限らず)には、優しく思いやりをもって接します。嫌いな相手にはついぞんざいな態度を取ってしまいます。
逆の場合でもそうです。相手が好意を持って接してくれれば、自分もその相手に好意を持ちます。相手がぞんざいな態度を取れば、こちらも「なに、この人。」と感じます。
これは別に認知症の人に限ったことではありません。

認知症の人は、言われたこと・されたこと自体は覚えていなくても、感情ははっきり残ります。そして、感情を表に出しやすいので、ぞんざいな態度をとる人に対しては、あからさまな拒否を示します。
だから、「この人は嫌なことはしない」という感情記憶を残すように心がけることが重要です。問題行動を起こす原因は、ケアをするわたしたちの側にあるのです。

ななのひとこと・ふたこと

考えてみれば当たり前のこと。人に接するときには当然のことですよね。
認知症の人だから、とかいうことではない。人と人との絆について、改めて考えさせられます。