プロフィール

プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。このサイトを運営しているななといいます。

「なな」という名前の由来

といっても、「なな」は本名ではなく、このお人形の名前です。

私が小さい頃、寝る時にいつも枕元に置いていた人形で、引っ越しの際にたまたま出てきました。
母とふたりで「可愛いね」と話していたものの、ふたりともこのお人形の名前を思い出すことができませんでした。

しばらくの間「お人形さん」と呼んでいたのですが、さすがにそれもどうかと思い、母に「名前つけようよ。何がいいかな?」と聞いてみました。すると、親戚や知り合いに「なな」という名前の人がいるわけでもないのに、なぜか「ななちゃん!」と即答しました。

というわけで、お人形の名前はななちゃんに決まりました。その名前をこのブログで使っています。

ブログタイトルについて

フルタイムで会社員として働きながらアルツハイマー型認知症の母を介護していました。その間、「親が認知症になったら、どうする?」というタイトルでブログを細々と続けていました。

2022年1月に母を看取り、しばらく落ち込んでいたのですが、2023年5月に「親が認知症になったら、どうする?のその後」とブログタイトルを改め、再開することにしました。

再開した経緯は5年ぶりにブログを再開することにしましたをご覧ください。

介護歴は約11年

母が初めて介護認定を受けたのは2011年春のことです。私はまだギリギリ30代のときでした。

アルツハイマー型認知症の場合、いつ何をもって介護が始まったかというのを明確に示すのは容易ではありませんが、介護認定を受けた時をスタートと考えるのであれば、介護歴は約11年です。初めて受けた介護認定結果は要介護度1、亡くなったときの母の介護度は最も重い要介護度5でした。

「介護に完璧を求めてはいけない」と気づいた

初めての要介護認定を受けてしばらくはデイサービスをメインに利用していました。私は残業はなるべくせず、定時になると仕事から急いで帰り、毎日母の介護をしていました。理解のある上司や同僚にも恵まれ、そのような在宅介護が可能だったのです。

ところがあるとき突然、何か直接的な理由があったわけではないのですが、まるで緊張の糸が切れてしまったかのように、このままの状態での在宅介護を続ける自信を失ってしまいました。

「これ以上この生活を続けるのは、もう無理。このままでは自分自身がおかしくなってしまう」

それまで落ち着いていた母の徘徊が再開したり、介助のため夜中に寝られなかったりといったことが増え、精神的にも身体的にも追い詰められている自分に気づいたのです。

そのため、ショートステイを多用するなどして、なんとか自分の負担を減らそうとしました。母がそんな状況も仕方ないと思ってくれていたかどうかは、正直なところ分かりませんでした。母は自宅に帰ってきてもそこが自分の家だと分からないくらいに認知症の症状が進んでいて、母の気持ちを確かめることは既にできなかったからです。

当初、母をショートステイに預けることに対して、「母が嫌がるのではないか」と私自身かなり抵抗感がありました。母は騒がしい環境が苦手なので、他人がいる中では落ち着かないのでは、と思ったからです。また、分からないなりにも自宅で過ごすほうが穏やかな気持ちでいられるのでは、とも思いました。

母を施設に預けっぱなしにしている自分に罪悪感を感じることはしばしばありました。でも、介護を続けていくなかで気づいたのです。

「無理をしてはいけない、完璧を求めようとしてはいけない」と。

私と母の親子関係はもともと良好で、親戚やデイサービスの職員さんなどからも「仲良し親子だね」と以前からよく言われていました。

私は母のことが大好きでした。今も大好きです。だから、「できるだけ私自身が介護したい」「母が嫌がることはしたくない」と、ずっと思っていました。

でも、介護は先が読めません。いつまで続くのか、この先どんな状況になるのかは誰にも分からないのです。だから、頑張り過ぎてしまうと介護者のほうが参ってしまいます。

理想や完璧を追い求めて無理を重ねて、ある日プツッと糸が切れたように何もかも放り出したくなってしまうくらいなら、いい意味で手を抜く、つまり、介護サービスや周囲の人の手を借りるほうがよっぽどいいのです。

要介護者を虐待したり、言葉の暴力を浴びせたりしてしまうのは、介護者自身が無理や我慢をしているからです。

私は、暴力こそふるいませんでしたが、イライラして母を怒鳴りつけてしまったり、自分自身何をするのも億劫で介護うつのようになって、生きるのが面倒だと思ったりしたことがありました。

認知症介護は細く長く、ゆるーくやっていくのがいいんだと思えるようになってから、気持ちはだいぶ楽になりました。

自分のことも大切にする

自分の気持ちにも時間にも、多少なりとも余裕が出てくると、自分自身の将来のことを考えるようにもなりました。

「いま、母の介護は私と弟でなんとかやっているけれど、私が歳をとったらどうなるんだろう」
「自分の老後も心配・・・」
「年金だってどうなるか分からないし、お金に対する漠然とした不安も拭えない・・・」

そうした中で、お金について勉強してみたいという気持ちが芽生え、ファイナンシャル・プランナーの資格(CFP®️)を取りました。幅広く知識を身につけられてとても良かったと思っています。

また、勉強して感じたのは、「税金や年金のことなど、今までなんとなくしか知らずにずっと過ごしてきたんだな」「こうした公的制度について知識があると、介護にも役立つな」ということでした。このブログでお金に関する知識や話題なども取り上げていきたいと思っています。

ななのひとこと・ふたこと

介護が始まった当初は、周りに介護をしている友達もおらず、「なんでこんなことになったんだろう」「なんで私ばっかりこんな目にあうんだろう」などと思ったりしたこともありました。

でも、振り返ってみると、母の介護を通じて学べたことはたくさんありました。人生観が変わったといっても過言ではありません。
最愛の母が、晩年にまさに体を張って私に伝えてくれたことを、自分自身のためにも、このブログに書き記していきたいと思っています。

いま、介護に悩んでいる人の悩みや不安を共有したり、少しでも軽減できたりするといいなと思いつつ。